公開: 2019年8月25日
更新: 2019年8月xx日
資本主義が発達する過程で、17世紀頃から、投資のために必要な資金(お金)を集めるために、ただ一人の(国王などの)パトロン(資金提供者)に頼るのではなく、数多くの資本から少額の投資を集めて資金を集める方法ができました。この方法は、投資をする資本家にとっても、自分の資金全部を1つの事業への資金として投資した場合には、その事業に失敗すれば、その回収はできません。
1人のパトロンがある事業に必要な資金の全額を出資した場合、その事業が成功した場合の見返りは、全てその投資家が得ることになります。16世紀のコロンブスの航海によるアメリカ大陸の発見では、ポルトガル国王の王妃が全ての資金を、コロンブスの案に賛成して全て準備しました。そのため、コロンブスが持ち帰ったものはほとんど全てを彼女が受け取りました。しかし、コロンブスの船が難破したり、海賊に襲われれば、何も得られなかったはずです。
このコロンブスの航海のように、投資には大きな危険性が隠れています。実際にコロンブスの計画は、多くの国の国王が拒否しました。17世紀になると、そのような資金を数多くの投資家で分担し、その見返りとなる投資の報酬も、投資に参加した人々の間で分け合う方法が生み出されました。この場合、その投資が失敗した場合に失う資金の量も、自分の分担分だけになるので、失敗の場合の損失を一定額で抑えることができるようになりました。
さらに、投資家の目から見れば、自分が保有している資金を、複数の事業に分割して投資することができるようになりました。これは、失敗の危険性を吸収して、ある程度の確率で大きな利益を得ることができるようになったと言えます。例えば、成功する可能性が10パーセントで、成功した場合に得られる利益が100倍の事業が10あるとします。自分の保有する資金が、1つの事業に投資できる分と同じだとすれば、1つの事業に投資する場合、100倍の利益を得られるか、全てを失うかのどちらかです。
成功する確率は10に1つですから、多分、成功しません。現代の経済学で考えれば、期待利益は、100倍×0.1=10倍となります。しかし、投資額を10分の1ずつにして、全ての事業に投資すれば、多分、どれか1つの事業は成功するので、100倍の利益が得られる可能性は十分にあると言えます。そのような事業に必要な投資を小分けにして小規模の投資を募集するために、投資を求める人は、「債券」を発行してお金を集めます。
債権を発行して、債権の取引をしている各国の市場で、資金の募集をすることになります。資金を必要としている個人や企業、政府は、数多くあるので、資金を集める必要性が高い時は、事業が成功する頃に投資家に支払う約束の額を予め決めておきます。この将来得られる見返りの金額が高いほど、債権は市場でよく売れます。逆に、見返りが少ない債権は高い見返りを求めている投資家には売れません。
19世紀の末頃になると、投資の対象は、個人や企業よりも、国家になりました。様々な国がロンドンなどの市場で、国債を売り出し、資金を集めて、自国の産業を育てるための、工場建設や鉄道の建設などの事業を行いました。そのような場合、政治が不安定な国や、過去の実績が少ない国の債権は、高い利子が約束されていなければ、十分な資金を集められないと言う現象が起こりました。
江戸幕府を倒し、近代日本を建設しようとしていた日本も、鉄道建設など様々な事業に資金を必要としていました。そのため、ロンドン市場などで日本の国債を売り出していました。特に、大国ロシアとの戦争が近くなると、軍備を整えるため、膨大な額の費用を必要としていました。このため、日本政府は、ロンドンやニューヨークの市場で国債を売り、それらの戦費に必要な資金を調達しました。
1905年にロシアとの戦争が終わった後、日本政府は、その戦争のために発行した国債のために多額の返済をしなければならず、経済の復興が課題となりました。ロシア側からの賠償金を獲得できなかったため、国民の不満も高まり、政府は経済運営に窮していました。南満州鉄道の経営によって得られる収入は、その意味でも、日本政府にとっては重要な収入源であったわけです。